久しぶりに映画、<アドバンスト・スタイル>を見ました。
友人から勧められていましたが6月東京で見逃し、仙台に来るのを待っていた映画。
内容はニューヨークの熟年マダムのオシャレのドギュメンタリー。
それぞれが自分の表現としてオシャレに励み、中には95歳のマダムもいます。

(このおばぁちゃん、なんと自分の髪の毛で付けまつげまで作ってしまう。もう脱帽。)
彼女達が話題になって以来、ファッション誌の表紙になったり、テレビのゲスト等、
マスコミでももてはやされている状況。写真本も出ています。
まぁ、高齢者がこんなに元気なのは嬉しい事かも。
(そこに、おじいさんがいないのはおかしい。動物はオスがめかしこむのにね

)
それにしても経験上ですが、インテリアに拘る人はファッションも素敵。
でも、ファッションに拘る人のインテリアは、素敵とは言い難い人が多い。
整理整頓が出来ないタイプも…
考えるに洋服は基本、プラスのベクトル。インテリアもプラスの方向に行くみたい。
この服にはこの帽子、このアクセサリーと、拘れば物は増えていくばかり。
完璧を目指せば目指すほど物は増えるから、当然収納は足りなくなり片付け不能に。
今回も殆どがこのプラスのファッション。トイレットペーパーの芯までブレスにしていた人もいました。
自分的には一人だけ素敵な人がいたけど、彼女はマイナスのファッション。だから自宅もすっきり。
そんな話を友人としていたら、テレビのリフォーム番組で素敵なインテリアになっても
その人が素敵なファッションでないのが多いのはなぜ?と言い出しました。
それはもちろん、人から与えられたインテリアだからだと思う、と答えました。
自分が参加していないインテリアでは、その人自身を表していない。
先日参加したセミナーでは、生活にアートを根付かせましょうのコンセプトがあったけど
その前に整理整頓をして欲しい家ばかり。
そういう家は疲れるので、あまり他人の家には行きたくない自分。
子供時代から整理整頓学を教えるべきですね。家庭ではもう無理なので学校の授業でかしら?
むしろ昭和の日本の方が片付いていた気がします。物がなかった、といえばそれまでですけど、
日本のマイナスのインテリアから、洋風のプラスのインテリアになった事も要因?
ヨーロッパのインテリアはプラスになっても、時代のスタイルが確立しているので
それなりに統一感があるのですけど、それがない日本は、ただバラバラに物があるのみ。
と言っても、モデルルームのような家が素敵とは思っていません。
あれはあれで居心地が悪い。生活感、住み手の表情がなさすぎです。
片付いていながらも、多少の雑然があり、個性がある空間が自分的には好き。
もちろん清潔感は第一前提。
こんなことが気になりすぎる自分なので、他人とは暮らせないなぁ…